2010年08月02日

平和のDVD鑑賞で感傷的に

みなさん、こんにちは。
管理人です。

早くも、8月に突入です。

いやぁ、暑い晴れ 
かんかん照りです。

さて、大阪地本青年部の定例会では、沖縄戦でのDVD鑑賞会をおこないました。
沖縄の米軍基地、移設問題が政治課題にもなっているところですが。
沖縄の戦争の実態を知るための、良い機会になりました。

100730_194037.jpg

どーん

主な内容は、かいつまんで次の通り。
こんなDVDでした。

● 第2次世界大戦において沖縄では地上戦がおこなわれ、戦闘員よりも、子どもやお年寄り、女性や障害者など一般の民間人が多く犠牲になりました。
● 学生たちも爆弾を抱えて戦車に突っ込まされたり、怪我をした人の治療についたり。全国の学生たちに向けて、「沖縄の学生を見習え」という号令まで出たそうで…。やるせないなぁ。
● 親や子どもを軍の指令のもとで殺さなければならない、集団自決のあった悲劇の現場。
● 韓国のハルモニたちが、だまされて連行され、従軍慰安婦として従事させられた事実。
などなど…

悲惨な実態をDVDで目のあたりにして。
戦争はあかんよなぁ、と強く実感しました。。

そして、鑑賞後の感想交流では…

○ おじいさんの弟が戦争に行ったまま、帰ってこなかった。
○ 銭湯の水風呂で遊んでいたら、おじいさんに「水を無駄づかいするな。戦地では、コップ一杯の水しか支給されなかったんだ!」と怒られた。
○ 地元で、戦争の遺跡をめぐって、防空壕に入ったが狭くて暗いところで衝撃を受けた。
○ 沖縄のガマ(洞窟のようなもの)に行って、真っ暗で何も見えないところだったが、そのなかで治療をしたり、米軍に見つからないように息を殺していたことを思い出して、平和の大切さを改めて実感した。

などなど。

みんなから、いろんな思いが出されたのです。

100729_220108.jpg

どーん

お分かりでしょうか。
これは大阪城。


大阪でも戦争の遺跡は多くあり。
大阪城も武器の製造工場として使われていたのでした。

Osaka「なつわか。」でもフィールドワークで行きましたが、
爆撃で石垣がずれていたり、石が機関銃でえぐられていたり。
大阪城には戦争の爪あとがいまだに残っていることは、あまり知られていません。

沖縄の戦争の実態、そして米軍基地の実態を知ることができ
平和の大切さを実感した、大阪のとりくみになりました右斜め上

感想交流後は、「労働組合はパブから始まった」
ということで、居酒屋ではなく、パブへ。
天王寺の事務所から徒歩5分くらいのところに、パブがあるのです。

パブでも、いろんな話に平和の花が咲きました。

ゲームでは、「芸能人の名前ビンゴ」ぴかぴか(新しい)
芸能人ビンゴなはずなのに、なぜか大阪地本の委員長の名前が(笑)
演出家のMYちゃん、おもしろかったですぞ!

ということで、緩急つけながら大阪地本青年部のとりくみ
続けていきます。

おわりend


posted by てくてく。 at 10:47| Comment(8) | TrackBack(0) | 大阪のとりくみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
語り手さん達が少なくなり、戦争の傷跡等でしか、当時の状況を把握できなくなってしまった現代。

「戦争なんて起きないでしょ!?」「日本にいれば安全でしょ」と言った若者の声も聞いたことがあり、本当に恐ろしく感じます。

大勢の命を奪い、得る物は何もない戦争。

平和でよりよい環境を地球規模で訴えていきたいですね! 
Posted by ミドリマン at 2010年08月02日 13:20
参加できなくてすみませんでした(>_<)
ゲーム盛り上がったようで良かったです♪
平和のDVD、感傷的に浸れるイイ内容だったんですね☆新部長に拍手!(o^∀^o)
今また平和問題も動いてますね。初めて米政府の駐日大使が広島平和祈念式典に参加したり、先日にはクラスター爆弾の撤廃条約?(正式名を忘れました!スミマセン)が発効されたりと、小さな一歩でも確実に発展へ歩んでるんやなぁとしみじみ感じてます。

猛暑日が続く毎日ですが、みなさん体を大切に☆
6日の8:15、9日の11:02に都合つく方、NHKの式典の中継を見ながら参加者の一人になれたらいいですね。私は仕事なので、心の中で祈ってます…(^_^)
Posted by mai at 2010年08月02日 23:47
うちの園長(85歳)は、二回『死ぬ思い』を体験したそう。
2度目は去年、持病が悪化し、呼吸もままならなくなって。

あ、まだ現役ですよ☆

1度目は、そう。

第2次世界大戦。

海軍だった園長先生は、船に乗っていて爆撃に遭い、船が沈没。
命からがら脱出し、太平洋を泳いで無事陸地にたどり着いたらしい。

今日、2歳児の子どもがこんなことを話していました。
『3さいの子が死んじゃったんだってね。ごはんたべれなかったんだってね』

虐待のニュースのことを話しているんだと思うんだけど、
ごはんが当たり前に食べられること、呼吸を当たり前のようにできること。
これって、本当は『有り難い』ことで。
その有り難さ、悲惨なニュースとセットにならないと
気づきにくいんでしょうかね。
Posted by tomomium at 2010年08月03日 17:22
今日は、コミック「夕凪の街 桜の国」の原画展をチラッとのぞいてきました。

故井上ひさしさん原作の「父と暮せば」は「おとったん、ありがとありました」。映画にもなった、この「夕凪の街 桜の国」も印象に残るのは「生きとってくれて、ありがとな」。

児童虐待も高齢者行方不明も、つながりの浅さの象徴だと思います。

そして、私たちや社会の風潮も、つながりや自己肯定感を持ちづらい中、「ありがとう」が言い合えないという状況。視線に入る距離からまず、なんとかしないと。

今年の8月6日は、例年4万人前後が参加する広島市の式典に、国連事務総長、アメリカ、イギリス、フランスの政府代表も初めて出席するとか。

私もテレビ中継みて、式典の最後に歌われる「ひろしま平和の歌」をたいせつにしたいと思います。そして被爆者、自分のいのち、家族、なかまに「ありがとう」の気持ちをあらためて持ちたいものですね。私もできてないからこそ、せめて自分に言い聞かせたいです。
Posted by Tamy at 2010年08月03日 23:15
ここ数日、忙しくて時間が取れなかったのだけど、やっと今日、お昼に少し時間をもらい。

「2幼児虐待」の現場へ行き、2人のご冥福を祈ってきました。
なんとかしてあげたかったな…。
Posted by t@ni at 2010年08月04日 21:53
従軍僧や従軍看護婦、従軍記者はいましたが従軍慰安婦というのは存在しません。
慰安婦は高給取りだったので現在の貨幣価値で一億円ためた人もいます。
彼女たちは親が借金をしたカタにとられたり、女衒(半数以上は朝鮮人の業者)にだまされたのであって当時は合法な商売であった売春稼業で働いたということです。
日本軍がむりやり引っ張っていった証拠はありません。

Posted by とおりすがり at 2010年08月09日 17:09
とおりすがりさん、ここで議論するツモリはないですが、1億円ためた人の記録はどの程度あり、どのくらいの人がその富裕層になったのでしょうか。

いわゆる相手をさせられる人で1億ためた人が何人いたという証拠はありますか。

当時の「合法」で言うのであれば、当時の侵略や赤紙も、軍下での虐待も「合法」でしょうね。

日本に連れてこられて、慰安婦をしなければ、生きていけなかった、一定程度の継続性をもたせるために、地域やケースによっては慰安婦を優遇したことがあったとしても、結果としては従軍慰安婦になりませんか。

「合法」な「商売」とあえてさせて、いつ終わるかわからない軍人の士気を維持させた一方で、その相手をさせたということが「商売」で「合法」なら、何の戦争責任も問われないのでしょうか。

そもそも、つれてこられた朝鮮人に、「合法」とか「商売」というような知識があったか、それにそれを選んで拒否することができたか、そこが抜け落ちていないでしょうか。
Posted by T at 2010年08月09日 18:06
当時の慰安婦が高給であったのは事実です。
借金が返せたひとは自由の身になれたし、そのまま働き続けて富を蓄えたひともいたのです。
わたしは戦争はいやなのです。でも世界中の軍隊に慰安所はあったのに日本軍だけ悪者扱いしてほしくないのです。
日韓基本条約で完全かつ最終的に解決したとある以上、個人の賠償に応ずる義務は韓国政府にあります。
Posted by とおりすがり at 2010年08月12日 22:07
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。